少し困ったおじさん

遅くとも40歳ぐらいまでには自分の事業を起こそうなんて考え始め、 ついにその日が近づいてきてしまった人の話。

2015年02月



 春の気配がはっきりと感じられるようになりましたね。
我が家の庭もようやく雪が溶けてきたので、家庭菜園用にソラマメを蒔きました。
私の住んでいるところはゴールデンウィーク後でも、霜の被害がでるような
場所なので、5月末ぐらいまでは写真のビニールハウスの中で育てて、
その後、畑に移し替えようと思っています。

 ちなみに昨年はそこそこ頑張り、5〜9月は毎食ほぼ何かしらは作った野菜が入り、
2カ月ぐらい全く野菜を買わない時期もありました。今後、収入はガクッと減るので、
畑しごとも頑張りたいです。

 先週、今週と忙しくなかなか上司と面談ができなかったのですが
ようやくできました。

以前のエントリーで書いた通り、
①会社が求めているもの、②自分のできること、③自分の進みたい方向
の3つにそって状況や認識を説明した上で退職の意思を伝えたので、
退職の意思確認自体はスムーズでした。
さすがに20台の若者ならともかく、妻子&ローン持ちの中年が会社を辞めるので、
その点についてはよくよく考え、家族とも相談した上でのことだよねと
念押しはされますが、それも「もちろんです」と答えればそれまでです。 

私のいる部署はそれなりに忙しいものの、働きやすさという面で言うと、
社内では大分マシな方で、職場に対する恨み等は全くありません。
むしろ、時短勤務など融通してもらっていた部分もあり、感謝しています。
また、過去の転職でもそうでしたが、どんなに嫌な職場でもふてくされずに仕事を
していれば必ず助けてくれる人はいるもので、辞める時は期待に応えられず
申し訳ない気になります。ただ、立ち止まれば、これまで裏切ってきた人に
顔向けできなくなるので、進むほかありません。

希望として7月末と出してありますが、一応、+ 一ヵ月ぐらいは調整の余地を
残しておいたので退職スケジュールは若干流動的になりました。
とは言え、一歩前進です。 


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 今日は介護の無料講習を受けてきました。
以前、ボランティアに活かそうと大手介護サービス会社の
介護ヘルパー二級講座を受講したことがあるのですが、
その修了生にはリクルートを兼ねて無料講座のお誘いが
送られてくるのです。

起業と言っても私の始めるものは極めて小さな個人事業で、
立ち上がりもそれなりに時間がかかるだろうし、収益もそれほど
望めないはずです。収入が不安定になって一番怖いのは
家族の病気や子供の進学などで、ある期間安定的に
稼がなければならない状況に追い込まれた場合です。
おっさんになったとは言え、まだ先は長く、時に夢や理想を
語れない事態もあるでしょう。そういった時の保険になればと思い、 
就職の話を聞くついでに受講してきました。

ちなみに、おおざっぱに介護の仕事を分類すると
  1. 老人ホーム
  2. デイサービス
  3. 訪問介護
あたりがメジャーです。各サービスごとの違いについては、
「介護 種類」などで検索していただくとして、私が使えそうだなと思うのは
3の訪問介護です。理由は以下の通り。
  • 時間の融通が利く(アルバイト並み、農閑期だけ働く農家の奥さんとかもいるらしい)
  • 時給が高い(ヘルパー二級でできる介護職の中ではですが)
  • とにかく人手不足なので実務経験あれば超売り手市場(Wワークも全然Okとのこと)
  • できるだけ自宅でという国の方針と合致しており、当面、ニーズはなくならない
  • 外国人労働者が介護業界に流れてきても、自宅に入る以上「日本人で」というニーズはなくならない
  • 少なくとも利用者は自宅で生活できるレベルの人(常時見守り不要)
ニーズがなくならないというのは、保険としてはとても重要です。
この先、50、60になっても職歴としてはちゃんと活かせます。
キツイキツイと言われる介護職ですが、それは正社員として一家の生活を
支えるだけの収入をこの仕事一本で稼ぎ出そうとした場合で、
週2,3回パートに入るレベルの仕事量ならそこまで追い詰められるとは
到底思えません。 事業が立ち上がるまでは週2,3回働いて、立ち上がっても
職歴を切らさないレベルで細々働くのも悪くないと思いました。

人材担当者の話では、とにかく訪問介護の人材不足は深刻で、
ちゃんとした人が来てくれるのであれば勤務形態はいくらでも相談に乗るって
感じでした。 今度、実際に働いてる人の話も聞いてみたいと思います。



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今週は退職の報告を職場にする予定でしたが、
上司とのタイミングが合わずできませんでした。相手のあることを
ここでやると明言するのはよくなかったですね。

 ところで、私は現在、時短勤務を利用しています。
今回は、この制度を利用して感じたことを書いておきたいと思います。
この話は最後まで結論らしきものが見えませんが、それは時短勤務が
仕事と家庭を両立するうえで、根本的な解決にはなりえないからです。

 まず、利用前の状態について。
時短勤務になる前の私たち夫婦はまるで自宅内で交代勤務でも
しているかのような生活をしており、文字通り、すれ違いの生活でした。
朝と夕の食事以外は話をする時間もなく、私としては退職という
大イベントを前にコミュニケーション不足が心配で、仲の良し悪しとは
別に、信頼関係をもう一段引き上げておきたいと思っていました。
また、妻も持ち帰り仕事を自宅でするのは効率が悪く、資料の紛失など
要らぬリスクも発生し、育休から復帰したものの本来の調子を
取り戻せていないようでした。


生活1


 そこでまず、勤務時間を減らして余裕を作ることを考えました。
一般的にはここで妻が時短勤務を選択するケースが多いと思いますが、
私たちの家庭では、退職の予定のある私より今後も組織に残って
働く妻のキャリアを優先しました。恐らく、時短勤務導入前の生活を
見ても分かる通り、私の妻の職場では早く帰っても、結局、
また持ち帰り仕事が増えるだけだったでしょう。

当時、こうしてきちんとにグラフを書いて計画したわけではありませんが、
下の図のような感じで、子供が寝た後に夫婦で自由な時間を持てる
ような生活をイメージして勤務時間を変更し、昨年の6月ぐらいまでは
結構、うまくいっていました。妻も昨年よりスムーズに仕事が回りだした
ようで、手応えを感じているようでした。

生活2


 ところが7月になって、私の職場のほうが忙しくなってくると状況が一転します。
私以外は10時ぐらいまで残業していました。皆、仕事に忙殺されていて、
職場の雰囲気も殺伐としてきます。さすがに作業量が倍も違うと仕事の
スピードに全然ついていけなくなってきて、すっかり、お荷物(まさに権利主張型
ローパフォーマーってやつですね)の様相です。
一つ難しいなと思ったのは、時短勤務に入る前は帰宅後の家事も少なく、
仕事のことを絶えず考えていられたのが、時短勤務後は家事のために
数時間の仕事と切り離されてしまうため、再び仕事モードに切り替えるのに
少し時間がかかったり、覚えたことが飛んでしまったりすることが起きるように
なったことです。例えるなら月曜の朝みたいな感じです。もちろん、忘れないように
メモを取るのは当たり前のことですが、複雑なシステムの仕様のような
メモ程度では済まない分量の情報になると、よほど上手にまとめていかないと
対処できなくなってきます。
受験生のころ、予備校の講師が下図のような絵を書いて教えてくれたことと
重なります。多分、知識の蓄積に頼るやり方を取る限り、ある程度
時間を確保して集中してやらないと難しいのではないでしょうか。
ただ、走っているチームの中で一人だけやり方を変えるのって難しいんですよね。
言い訳にしかなりませんが、職場にいる時間も限られているなか、
これといった解決策も出せず、結局、年が明けるぐらいまでは土砂降りの中を
トボトボ歩き続けました。

知識

 と、そんなこんなで苦労しているうちに、私たちの生活は下図のようになりました。

生活3


 時短になったとはいえ、その分、日中は全力疾走なので帰ればクタクタです。
気持ちもふさぐのでお酒も飲みたくなります。妻と子供が寝に行った後に
酔いが回って力尽き、そのままソファで2,3時間寝てしまうことが多くなりました。
まったくグダグダな生活です。

 それでも唯一、良かったかったのは、妻が自分の仕事に手ごたえを感じるように
なってきて、当初の目的の半分を達成できたことです。また、家事に関して同じ苦労を
分かち合うことで、互いに支えあわなければ、お互いに好きなことができないということ
確認しあえたことです。残りの半分の達成は難しく、ゆったり夫婦で話す機会は
それほど多くはありませんでしたが、必要最低限のことはできたかなと思っています。
 
 なお、この残り半分が難しかった理由としては、私のスキル不足もありますが、
根本的には夫婦で経済モデル(時間を売って金を稼ぐ)が競合していることが一番の
問題じゃないかと感じています。時間じゃない、成果だと職場の上司は言いますが、
結局、制度で守られた私以外は誰も早く帰れません。そしてそれは、今年も来年も
続くのです。つまり、どう考えたって、私や妻の職場において時間と成果が
切り離せないのは明らかだと思います。 できる人とできない人の差なんて、所詮、
時間と成果の変換効率の差ぐらいで、どれだけ効率よく成果に変換したところで、
窓際に追いやられるまで無限に時間の供出を求められるはずです。 妻は自分の仕事を
気に入っていて、それをするには組織が必要です。本来、組織には妻のように
その組織にいないと好きな仕事ができないって人だけが残ればいいはずで、
時短勤務という制度もそういう人がどうしても籍を残したい時に利用すればいいと
思います。スキルがあって会社にとって必要であっても、その必要というのは
今現在必要という話であって、3年もしくはそれ以上、パフォーマンスが下がっても
なお、欲しいスキルというのがどのようなものか、ピンときません。
会社自体がどういう人に残ってもらいたいのか、きちんと絞り込めていなくて、
なんとなく社会の要請にこたえただけのような印象を受けました。
申請する方も単に生活のお金が欲しくてやるだけなら、苦しくなることもあると思うので、 
会社も社員も今一度何が大切なのか考えたほうがいいと思います。

参考リンク(主夫になる気はないですが):驚くほど自然。ある専業主「夫」の人生


 時短勤務については以上ですが、今後、どういう生活にしたいかは妻と一緒に円グラフを
書いてみようと思います。





 

 今週は忙しく、まだ上司と話す機会がないので、退職も切り出せていません。
今回は、自ら異動を切り出す場合の基準について書きたいと思います。
キャプチャ

 昔、転職サポートのエージェントと面談したときに、こんな絵を見せてもらいました。
多分、世間一般にも言われていることで、目新しくもなんともないと思いますが、
「求められていること」 x 「やりたいこと」 x 「できること」 が重なる部分が
「お仕事として成立する部分」ですというものです。 
なんとなくこの絵はずっと頭に残っていて、これまで職場を移る決断をする際には
いつも意識しています。

 もともとハード屋だった私は、現在の部署(情報化部門)に下の図のような感じで
移動してきました。コーディング技術と言っても、実験のデータ処理や計測器の制御用の
プログラムを作ったり、情報共有用のサイトを立てるためにphpとかちょこちょこ書く程度で
大したことはなかったのですが、まぁ、何とかなるさで乗り込んで行きました。
要件定義やデータモデリングといった仕組みを設計するための要素技術については
もともと興味があり、何冊か本を読んでいたため、実際の業務を見てみたいというのが
一番の動機でした。
キャプチャ2
 最初の3年は単独でアプリを作る仕事がメインで、かなり好きにさせてもらいました。
欲しかったデータモデリング(情報の流し方)やサービス設計の技術に関しては、
洗練された手法やノウハウが職場にあるわけではないことが早々に判明し、
若干がっかりしたものの、自由にやらせてもらえたので教科書通りにやると
どうなるかとか、理屈を通すためには何に注意しなくちゃいけないのかなど、
いろいろ勉強することができました。ただ、私は商品開発のような直接部門で育って
来たので、ずっと間接部門でやってきた同僚との意識の違いも感じるように
なってきました。 

 そんなこんなで4年目にチームを異動することになり、チーム開発が基本の
大がかりなシステム開発プロジェクトに参加することになります。
更に、もまれること1年、3つの円の重なる部分は相対的にどんどん縮小していきました。 
キャプチャ3




 チーム開発やマネジメントに関するスキルはもちろん大切で、あれば何かの
役に立つものだとは思いますが、よりシンプルかつダイレクトにとミニマルを
求める私にとって、優先順位が高くないのは明らかです。

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